2008年07月06日
松代7カ寺めぐり見どころご案内
7月13日開催の
松代7カ寺めぐりのみどころをご案内です。
六文銭が誇らしいお寺、下記紹介⑦の蓮乗寺
真田宝物館裏駐車場にて
8時30分受付開始
9時出発
午前中散策します。
参加費500円、
申込みはいりません。当日受付ます。
散策の道順の中での見どころ
①小山田家門、主屋
嘉永2年建設 登録文化財 表門(冠木門)、主屋、番所
真田家の筆頭家老を勤めた
番所の腰板は四段の下見板張り、格式が高い家にゆるされた
②矢澤家 真田藩の代々家老を勤めた
表門(長屋門)格式の高い門であった。
③鐘 楼 日本電信発祥の地 有形文化財に指定
佐久間象山が約60mの電線を張り、日本最初の電信実験に成功する
江戸時代の時を告げた鐘楼 3回の大火で消失 1802年再建
④松下家 登録文化財 明治24年再建
屋号「松屋」という染め物屋であった
⑤祝 神社 登録文化財(本殿・拝殿)
文化9年(1812)建設。お諏訪さんの名でしたしまれている
武田信玄が上杉謙信との戦いに備えて海津城(現松代城)を築いた時に城内の鎮守として信仰したと伝えられている
・稲荷社・八幡社・天神社・西宮神社・恵比寿神社・猿田彦社・宗方社が
境内にあり八百万(ヤオヨロズ)の神様が祭られている
⑥願行寺 天文年間(1532~1555)小県郡海野荘の海野左京太夫幸義が小県郡海野に建立し、後上田に移った。
真田信之が松代転封の時に建立。
松代藩10代藩主真田幸民(ゆきもと)筆の山額「城巽林」・子育て地蔵
・鎌原桐山の碑(松代の三山の一人)
⑦蓮乗寺 海津の久龍源吾が建治元年(1275)久龍山海津寺を建立、永禄年間現在地に移設
・七面大明神(七面さん)は地元の信仰が厚い。縁日8月8・9日(日蓮宗摩尼殿)
・佐久間象山の墓(象山の父神渓、子の格二郎)
・加藤丹波後守道旬の墓(菅平高原の開発功労者)
・和田 英 (富岡日記、我が母のしつけ などの著書で有名)
・望月治部左衛門(恩田杢民親を助けて松代藩の財政改革を手助けした)
⑧龍泉寺 海津城初代高坂弾正忠昌信が亡母のために建設(寛文年代(1661~1672)現在地に)
・延命地蔵(この像は立像という珍しい、一般には足をたらす半跏の座像)
・閻魔大王図(二間四方の超大図)明治24年山口雪嶺の作 縁日1月16日
・勝軍地蔵(坂上田村麻呂が祈願したことから武家の信仰が厚かった 珍地蔵)
・おしゅん地蔵
⑨山岸家 登録文化財(長屋門と牛乳工場)
長屋門は明治時代建設 養蚕場として建てる
牛乳工場は昭和8年建設
⑩大林寺 天正年間(1573~1591)昌幸が妻寒松院の発願で上田城外房山に建立した大輪寺を移封後松代に移設した
現本堂は1945年建立
・山額 真田六代藩主真田幸弘筆「大林禅寺」
・矢澤家の墓(松代藩重役)
・山寺常山の墓
・鎌原桐山の墓
・真田昌幸夫人の墓(信之の母)
・坂口淳の墓(小鹿のバンビ作者)
・岩崎家の墓(赤穂浪士大石内蔵助の姉が嫁いだ)
・”禁葷酒”の碑(佐久間象山3才のとき乳母の背に字を書いた)
・民話“田掻き地蔵”
⑪本誓寺 健保5年(1218)親鸞が倉科村自證院を再建し、本誓寺と改め法弟の是信坊が開基した古刹。
慶長年間に現在地へ建設
・瀬踏みの阿弥陀御本尊(正月三が日開帳)
・落涙の聖徳太子像
・象山建立の霊燼塚(佐久間象山に関係したものがある)
⑫證蓮寺 滋野一族西仏坊覚明の子の康楽寺二世法眼浄賀が東条に建立
慶長年間に現在地に移った
・山門 (明治5年の大火の後、長国寺より移築されたという山門)
・六代真田幸弘筆の“親鸞聖人御影”が残る
・聖徳太子像
・阿弥陀如来(慈覚大師作)
⑬大英寺 元和8年(1622)初代藩主真田信之が妻大蓮院(小松姫)菩提のために開基
(小松姫は本多忠勝の娘で徳川家康の養女として真田信之に嫁いだといわれている)
本堂と表門は県宝に指定(松代に残る木造建築の最古のもの)
・霊屋の徳川家の三つ葉葵の紋
・鏡天井の龍の絵(狩野派三村晴山(セイザン)作)
・三十六歌仙の図(狩野派 隼人正作)
・鴻門の絵 (狩野派 狩野永徳作)
・泉水の庭園
以上の見どころをNPO夢空間会員によるガイドにて散策します。
お楽しみに
松代7カ寺めぐりのみどころをご案内です。
真田宝物館裏駐車場にて
8時30分受付開始
9時出発
午前中散策します。
参加費500円、
申込みはいりません。当日受付ます。
散策の道順の中での見どころ
①小山田家門、主屋
嘉永2年建設 登録文化財 表門(冠木門)、主屋、番所
真田家の筆頭家老を勤めた
番所の腰板は四段の下見板張り、格式が高い家にゆるされた
②矢澤家 真田藩の代々家老を勤めた
表門(長屋門)格式の高い門であった。
③鐘 楼 日本電信発祥の地 有形文化財に指定
佐久間象山が約60mの電線を張り、日本最初の電信実験に成功する
江戸時代の時を告げた鐘楼 3回の大火で消失 1802年再建
④松下家 登録文化財 明治24年再建
屋号「松屋」という染め物屋であった
⑤祝 神社 登録文化財(本殿・拝殿)
文化9年(1812)建設。お諏訪さんの名でしたしまれている
武田信玄が上杉謙信との戦いに備えて海津城(現松代城)を築いた時に城内の鎮守として信仰したと伝えられている
・稲荷社・八幡社・天神社・西宮神社・恵比寿神社・猿田彦社・宗方社が
境内にあり八百万(ヤオヨロズ)の神様が祭られている
⑥願行寺 天文年間(1532~1555)小県郡海野荘の海野左京太夫幸義が小県郡海野に建立し、後上田に移った。
真田信之が松代転封の時に建立。
松代藩10代藩主真田幸民(ゆきもと)筆の山額「城巽林」・子育て地蔵
・鎌原桐山の碑(松代の三山の一人)
⑦蓮乗寺 海津の久龍源吾が建治元年(1275)久龍山海津寺を建立、永禄年間現在地に移設
・七面大明神(七面さん)は地元の信仰が厚い。縁日8月8・9日(日蓮宗摩尼殿)
・佐久間象山の墓(象山の父神渓、子の格二郎)
・加藤丹波後守道旬の墓(菅平高原の開発功労者)
・和田 英 (富岡日記、我が母のしつけ などの著書で有名)
・望月治部左衛門(恩田杢民親を助けて松代藩の財政改革を手助けした)
⑧龍泉寺 海津城初代高坂弾正忠昌信が亡母のために建設(寛文年代(1661~1672)現在地に)
・延命地蔵(この像は立像という珍しい、一般には足をたらす半跏の座像)
・閻魔大王図(二間四方の超大図)明治24年山口雪嶺の作 縁日1月16日
・勝軍地蔵(坂上田村麻呂が祈願したことから武家の信仰が厚かった 珍地蔵)
・おしゅん地蔵
⑨山岸家 登録文化財(長屋門と牛乳工場)
長屋門は明治時代建設 養蚕場として建てる
牛乳工場は昭和8年建設
⑩大林寺 天正年間(1573~1591)昌幸が妻寒松院の発願で上田城外房山に建立した大輪寺を移封後松代に移設した
現本堂は1945年建立
・山額 真田六代藩主真田幸弘筆「大林禅寺」
・矢澤家の墓(松代藩重役)
・山寺常山の墓
・鎌原桐山の墓
・真田昌幸夫人の墓(信之の母)
・坂口淳の墓(小鹿のバンビ作者)
・岩崎家の墓(赤穂浪士大石内蔵助の姉が嫁いだ)
・”禁葷酒”の碑(佐久間象山3才のとき乳母の背に字を書いた)
・民話“田掻き地蔵”
⑪本誓寺 健保5年(1218)親鸞が倉科村自證院を再建し、本誓寺と改め法弟の是信坊が開基した古刹。
慶長年間に現在地へ建設
・瀬踏みの阿弥陀御本尊(正月三が日開帳)
・落涙の聖徳太子像
・象山建立の霊燼塚(佐久間象山に関係したものがある)
⑫證蓮寺 滋野一族西仏坊覚明の子の康楽寺二世法眼浄賀が東条に建立
慶長年間に現在地に移った
・山門 (明治5年の大火の後、長国寺より移築されたという山門)
・六代真田幸弘筆の“親鸞聖人御影”が残る
・聖徳太子像
・阿弥陀如来(慈覚大師作)
⑬大英寺 元和8年(1622)初代藩主真田信之が妻大蓮院(小松姫)菩提のために開基
(小松姫は本多忠勝の娘で徳川家康の養女として真田信之に嫁いだといわれている)
本堂と表門は県宝に指定(松代に残る木造建築の最古のもの)
・霊屋の徳川家の三つ葉葵の紋
・鏡天井の龍の絵(狩野派三村晴山(セイザン)作)
・三十六歌仙の図(狩野派 隼人正作)
・鴻門の絵 (狩野派 狩野永徳作)
・泉水の庭園
以上の見どころをNPO夢空間会員によるガイドにて散策します。
お楽しみに
真田十万石の城下町信州松代(まつしろ)は長野インターから5分、
歴史・文化・自然、とても魅力的なスポットが沢山あります。
松代まるごとワンダーランド・不思議の国。あなたもお宝探しに松代へ行ってみませんか?
上杉謙信、武田信玄の川中島合戦の舞台となった名城100選の海津城(松代城)をはじめ、真田幸村の兄松代藩初代藩主真田信之が徳川幕府に上田城から松代への移封を命ぜられてから250年間真田家が統治しました。
美しい日本の歴史風土100選に選ばれた城下町の落ち着いた町並みが随所に残ります。善光寺御開帳には毎回松代から回向柱が奉納されます。
太平洋戦争で掘られた大本営地下壕跡もあり、古代から近代までの遺跡がびっしり詰まった宝島。
吉田松陰の師で開国を唱えた先駆者佐久間象山、日本初の本格的近代演劇女優松井須磨子、おさるの駕籠やなどの童謡を数多く作曲した海沼実をはじめ、硫黄島の総司令官栗林忠道中将など多くの人材を輩出してきた町です。
松代温泉は効能が良いと人気です。
長いもや杏、松代焼きの産地です。宴席には謡で杯を返しあう北信流の伝統があります。
このように歴史的文化遺産が集積している松代町ですが、長野市の中に埋没し、官民共に観光客を誘客するための取り組みが弱かったため年間20万~30万人の観光客の入りこみでした。平成16年に長野市が松代を全国に売り出すキャンペーンを官民一体で行い「遊学城下町信州松代」(エコール・ド・まつしろ=松代学校)として松代のブランド化をはかり、松代で遊び学ぶ交流観光を活発化させて全国から80万人が松代を訪れました。その後「松代ブランド」が確立するにしたがい、今では毎年60万人前後の人が訪れる観光の町として定着してきています。
松代のまちづくりに取り組んでいるNPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会が市販のガイドブックには出ていない、じっくり味わっていただきたい松代の魅力や、まち歩き、里山ウオーキング情報、松代 観光 地図などをご案内いたます。
また、松代に潜在するお宝を発見して磨き上げて全国に発信して観光客を100万人の大台に乗せようと頑張っているNPO夢空間や松代のまちづくりに取り組む人々の動きをタイムリーにご紹介していきます。
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